愚者の仮面

スポンサーサイト

--/--/-- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Top ▲

ひねくれネズミと甘い書物

2017/02/14 15:08

 本に囲まれたその場所で、少年は雨の音に耳を傾ける。

 暗く閉ざした図書館地下の書庫、棚に収まることなく床に雪崩れた本の中で少年は黙って目を閉じている。
 天井から吊るされた電球に光はない。ただ、水滴まみれの高い窓越しに曇り空から差す仄暗い明かりとも呼べない空の白さだけが、その雑多な空間をうっすらと照らし出していた。

 制服にしわができることも厭わない姿勢で少年は床に座り込んでいる。
 ブレザーの襟もとに飾られた学年バッジは1年を示している。
 2月の中旬、ようやく着慣れてきた未だ綺麗な黒地が埃を吸って、わずかに白く染まっていた。

 彼は静かな空間に響く雨音を聴きながら、小さくため息を吐いた。

「あー、騒がしいなぁ」

 それが指しているのは決して雨音のことではない。
 むしろ、この空間は少年しかいないから静かなものだし、静かに降り続く雨の音も落ち着く。

 そういうわけではなく、今の文句は、今の世の中を、ついでに校内をも浮かれさせている甘い甘い気配のことを指しているのだった。
 2月の中旬、むやみやたらと甘い匂いと気配で浮かれた空気のことを。

「バレンタインとかさぁ……ほんとさぁ……」

 あーもう、とやけくそに言い放ってがしがしと頭を掻く。
 
 ちなみに言っておくが、彼はチョコレートを貰えなかったから文句を言っているわけではない。
 むしろ、貰い過ぎて文句を言っているのだ。

 少年はこれまで比較的苦労をしないで生きてきた。
 勉強も少し努力すれば人並み以上になれたし、綺麗に産んでもらったおかげで外面さえ良くしていれば人には好かれた。
 
 が、こういうことになるとなぜか人一倍苦労する羽目になる。

 欲しくもないものを、渡されたくもない相手から大量に渡される。
 義理から、本命から、からかい混じりのものまで。
 とはいえ基本的に好意から渡されるものだし、無下に突き返したりなどしたものなら今まで築いてきた好青年的イメージを完全に失うことになるだろう。

 たかが高校3年。されど高校3年。

 当たり障りなく、誰にも嫌われない生き方が一番楽だと経験則から知っている。
 特に仲のいい人間もいないが、仲の悪い相手もいない。女の子は呼ばなくても寄ってくるし、寄ってきたところでさほどの興味もない。
 まぁ、とうの昔に遊びつくしたから、とも言えるのだが。

 1年かけてようやく作ったこの定位置、こんな馬鹿げたイベントのせいで投げ捨てるのも勿体が無い。

 まぁ、そうはいっても、この雨のなか紙袋いっぱいの菓子を持ち帰るのは面倒くさいなぁ、とか、連日甘いものを食べざるを得ないであろう今後の現実、とか、1か月後に襲い来るであろうお返しのこと、とか憂鬱なことはキリが無くて、少年はただただ隠れてふてくされているのであった。

 現実を直視したくないとき、逃避をするように此処に来る。
 口うるさい現実から目をそらして、地面の下にもぐる。

 この高校の図書館は地上3階建ての煉瓦造り、という少々大げさなつくりになっているのだが、実のところ地下書庫もかなり広くて、少年がいる地下一階の階層はギリギリ土の上に出た場所に天井があって、天井近く、地面のすれすれのその場所に開くことのない細く小さな窓があるのだ。
 電気をつけなくともそこからは空の明かりが入る。今日みたいな雨の日はほとんど意味を成さないが。

 かつてはここも生徒の立ち入りが自由で、地下書庫の本も貸出自由だったらしい。
 今は生徒が減ったこともあり貸し出しの多い本を1階から3階に集中させて、地下1階2階は完全に生徒の立ち入りを制限するようになっていた。

 が、少年はこの人が来ない空間を気に入って、仕事のできない司書が眠りこけている間に鍵を拝借し、合鍵を作ってたびたびこの地下書庫へ忍びこんでいたのだ。
 さらに言えば、あまりの使えなさに先日その司書は解雇されたばかりである。
 こうなれば少年がここの合鍵をひそかに持っていることも、たびたび侵入していることも、誰にも知られていないことは明白だ。

 実に愉快である。
 愉快だった。
 今日までは。

 ぎぃぃ、と立てつけの悪い扉が開く耳障りな音が響いた。

「うわぁ、埃すごいわねぇ……ちゃんと掃除されてないじゃない」

 聞き慣れぬ女の声。
 雨空の薄明かりではよく視認できないが、見たことのない私服姿の女性が階段上部で立ちすくんでいるのがわかる。

 学生ではないだろう。
 制服ではないし、そのような年齢には見えない。かといって、歳を食っているわけではなく、ぱっと見では年のころは20代半ばといったところか。
 見覚えはないが、怪しむような風貌でもない。

 すっきりとまとめ上げた長髪を揺らして、見知らぬ彼女が階段を下りてくる。
 そして、目が合った瞬間、真っ先にされたのは怪訝な表情だった。

「ここ、たしか立ち入り制限されてたはずだけど……あなた、生徒よね? なんで此処にいるの?」
「むしろそれはおれが聞きたいんだけど。此処の鍵って司書しか持ってないはずでしょ。その司書はくびになったと思ってたんだけどさ」
「わたしがそのくびになった司書の後任だから、よ」

 そういって彼女が見せてきたのは、首から下げた入門証だった。
 所属は図書館で、肩書は図書館司書となっている。
 この高校は、後任に随分と若い女性の司書を連れてきたようだった。

「ふーん、あんた結構若そうに見えるけどちゃんと仕事できんの?」

 女性の姿を睥睨する。
 じろじろと見る視線にも彼女は軽く肩をすくめるだけで、さほど気にもしていないように軽く答えた。

「先月まで公立図書館で実務してたから大丈夫よ。仕事だもの、ちゃんとやりますよ」
「えー、それはおれが困るなぁ。さぼり癖がある人じゃないと、此処使えなくなっちゃうじゃん」
「……やっぱり不法侵入なのね」

 困ったやつね、と呆れ顔。
 そして「誰に言えばいいのかしら」と思案を始める横顔に、少年は笑って吐き捨てる。

「大丈夫、言いつけたところで来たばかりのあんたの言うことなんか誰も信用しないさ。おれの言うことが優先される」

 そして、少年は意図的に悲しげな表情をつくって、女子からは可愛いともてはやされる柔らかい声音でこう続けた。

「『僕、そんなことしません。先生は来たばかりだし誰かと見間違えたのでは? 仕方ないですよ、大半の生徒が似たり寄ったりの髪型ですしね……あ、もしかして先生が見かけたのって図書館で出るって噂の幽霊かも。気を付けて下さいね』ってさ」

 ふっ、と鼻で笑う。

「あいにく、おれは優等生キャラで名が通ってるんだ」
「あなた、ろくでもない生徒ね」
「お褒めにあずかり光栄至極です、先生」

 はぁ、と深いため息が聞こえる。
 静かな雨音が響くなか、彼女は少年へ手のひらを掲げて見せた。

「はいはい、わたしの負けよ。今後も好きにしなさい。ただし、わたしに迷惑はかけないでよね」
「それはそうしますよ。おれだって貴重な棲家を追われたくはないしね」

 そう答えて、床に積まれた本を適当に拾い上げる。

「そういや、ここに散らばった本なんだけどさ。前任が色々ひっぱりだして、結局整理するの嫌になっちゃったっぽくて放置されてるんだよね。一応おれ少しずつ片してるんだけど……ま、気が向いたら手伝ってよ」
「……あんたのせいじゃなかったのね、コレ」

 げんなりと雑多な床を見渡して、彼女が複雑そうな表情を浮かべる。
 まぁ、本が好きならこの状況はあまり気分がいいものではないだろう。
 薄く埃をかぶった本の山も、ここまでくれば片付けなければならない未来を想像して嫌になるというものである。

「ああ、そうとも。基本的に貸し出される回数が少ない本が此処に置かれてるけど、別にまったく貸し出しがないってわけじゃない。そういうぽつぽつした貸し出し本を戻さないで放置した結果がコレ、ってわけ。職務放棄だよねぇ。おれの家を汚さないでほしいものだよ」
「あんたの家じゃないわよ、此処は」
「まぁ、それは冗談としてもさ。結構酷いからちまちま片付けてたけど、片付けるにも仕舞いづらい場所とかあって困ってたんだよ。プロの手で場所の移動とかどうにかしてよね」
「まったく……着任早々面倒なことになってきたなぁ」
「ご愁傷様だね。恨むなら今ここにいない人を恨みなよ」

 そういって本をいくつか手に取って立ち上がる。
 制服についた埃をかるく払って、書架をぐるりと見渡す。

「さて、今日も少しぐらい片付けるとしますかね。時間あったらでいいからさ、手伝ってよ」

 慣れ親しんだ本の群れの虫食いに、記憶を辿って戻していく。
 返却されたばかりの本ならば、前任者がどこから持ってきてどこへ放置していったのか、ぼんやりとだが記憶をしていた。
 それに、凝り固まった本の群れの空白は、本来そこに何があったのか予測がしやすい。似たような文字列が並ぶ背表紙を納めればいいだけなのだから。

 パズルとそう、大差がない。

「……ま、本当はわたしの仕事だしね」

 背中から聞こえた呟きとともに、足音が少し遠ざかる。

 後ろを振り向けば、彼女も片手に本を持って片付けに歩いて行ったところだった。
 そして、慣れた手つきで背表紙に貼られたラベルを確認しては、すばやく本を棚へ戻していく。
 まだ若いけれど、流石はプロ、と言ったところか。

「あー、結構いい本入ってるわね。古いからこっちに仕舞われてる本もあるのね」
「ああ、そういうのもあるかもね。全然出入りが無かったわけじゃないし。上に置いとくのは不安な本もあるでしょ」
「そうそう、こういうのとかね」

 そう言って、ひょい、と投げて寄越されたのは、地下書庫で眠っていたと思わしき古い書物だった。

 1年近くここにきているが、蔵書が膨大なせいかこの本には見覚えが無い。床ではなく、書架に収まっていたのだろうか。
 ぱらぱらとめくってみれば、合間合間に絵画やら彫像やらの写真が挟まっている。

 どうやら、それは神話の本のようだった。

「なに、これ」
「わたしから、ひねくれもののあなたへおススメ。読まなかったらその辺に置いといて。どうせそこのも片さなきゃいけないし、一冊二冊増えたって同じだから」
「……ふーん」

 彼女はそういって、次の瞬間には書架の整理へと戻っている。

 ちょっとだけ興味がわいた。
 自分の秘密基地に入り込んできた侵入者が、何を自分に勧めてきたのか。

 ――気にくわないものを渡して来たら、どんな手を使ってでもこの場所から追い出してやる。

 昏い企みを胸に落とし込み、少年は投げてよこされた本の表紙をめくる。

 幸い、さきほど手に取った本はすべて戻し終わっていた。
 本棚に背を預け、再び床に座り込む。
 そして、雨音を背景に文字を目で追った。

 ……なるほど、これはギリシャの神話の物語群だ。

 冥界の王の、恋の物語。
 美しい少女に一目ぼれした冥王が、彼女を攫い、妻にする物語。

 一度は冥界に連れて行かれてしまった少女だが、冥王のアプローチに対してそう簡単に首を縦に振らなかった。
 神々の説得もあって、彼女は冥界を離れる。
 だが、最後に彼女は地上へ戻ることはなく冥界の女王となるのだ。

 その解釈も様々で、やはり冥王が無理矢理に攫って冥界の住人にしてしまった、だとか、彼女の気の緩みでうっかり冥界の食べ物を口にし住人になってしまった、だとか、孤独な身の上だった冥王を憐れんだ彼女が隣に寄り添うことを選んだ、だとか、たった一つの物語を多くの解釈が物語を切り刻んでいる。

 彼はどちらかと言えば、夢も希望もない解釈が好きだった。

 彼女をだまし、何も知らない無垢な少女に冥界の食べ物を口にさせ。
 なにも知らせぬまま地上へと戻し。
 冥界の食べ物を口にしたものは冥界に属さねばならない、という決まりを地上で他の者から伝えさえ、最終的に少女を自らの手中へと納める計算尽くの解釈が。

 冥王が自身のエゴで彼女を連れ去り、あまつさえ策略によって最愛の女性を堕としてしまうような、そんな解釈。
 自分がどこか暗く淀んでいるような、でもそれを飲み込んで自分の利益だけのために動いてしまうような、どこまでも人間らしい、そういう夢の無い話が好きだった。

 益体も無い話である。
 だからこそ、人間臭さを感じる。そういうのが、好きだ。
 苦悩と羨望と愛情にまみれた、色彩鮮やかな物語。
 なんと残酷な話か。
 美しきものを自分の意志で堕としておきながら、その美しきものが喪われたことを嘆く冥王の醜さ。
 地の底に居ながら地上の光焦がれて手を伸ばし、その光を消してしまう愚かさ。

 ――ああ、なるほど、これは面白いかもしれない。
 それも、かなり少年好みのものだ。

 自分のなかに湧き上がってきた辟易するほどの感動が、今日受け取ったもののなかでもなによりも甘美で酔いしれそうになる。
 気持ちが込められたチョコレート菓子など、到底及ばないぐらいにこの本は甘い。
 甘くて、苦くて、胸が苦しい。

 彼女がこれをすすめてきたのは一種の皮肉だろうか。
 地下にこもって、自らの欲しいものを欲しい侭にしている少年への、あてつけなのだろうか。

 そういう底意地の悪さを彼女は自覚しているのかどうか。
 ここから見える背中だけではわからない。

「ねぇ、これから此処の専属司書になるわけ?」
「前任みたいにくびを切られるまでは」
「……根に持ってる? 子供みたいだね」
「それを子供に言われるとは思わなかったわね」

 ふっ、と彼女が笑った。
 ここからでは横顔を見上げることしかできなかったが、たしかに笑ったのだ。
 さきほどまで仏頂面しか見せなかった女が、ようやく見せた笑み。

 悪くない、と思う。

 地上にいても面白くもなくて、目を閉ざすように地下にいる生活も終わるのかもしれない。
 この女がいる場所なら、少しぐらいの騒がしさも許容してやってもいいだろう。
 彼女から与えられたものを口にした。なら、気まぐれだがその下についてやるのも悪くはない。

 冥王から甘い柘榴を渡され、なにも知らず口にしてしまった彼女のように。

「おれ、結構図書館入り浸ってるから、これからよろしくね」

 少年は静かな雨音を聴きながら、甘い匂いの地上に戻るのも悪くないな、とうっすらと笑みを浮かべたのだった。


 ―― 了
スポンサーサイト
Top ▲

comment

comment

comment form

Passのない投稿は編集できません

Trackback

Trackback URL :
http://thefoolpersona.blog136.fc2.com/tb.php/233-ed998ceb

Copyright (c) 愚者の仮面 All Rights Reserved.

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。