愚者の仮面

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傘、雨空、子供の世界。

2012/05/01 21:58

 ひんやりとした朝の空気の中、不機嫌な空がひとつふたつ涙を落とす。

 その一滴が黒くアスファルトを濡らし、小さな湖を形成していく。

 その中をいくつかの小さな傘がくるくると踊った。足下でぴちゃんと水滴が光る。
 小さな楽しげなその舞に、素っ気ない黒や深緑の傘がひととき目を留めては微かな笑みをこぼして忙しく通り過ぎていった。

 大人からすれば憂鬱な雨空も子供にとっては水たまりで遊べる絶好の機会である。
 空気に漂う土の匂いを嗅いで、赤いレインコートのてるてる坊主がはしゃいだような声を上げた。

 そんな楽しげな空気の中。

 小さな青い傘がその合間をかき分けるように早足に過ぎていく。青い傘の陰に隠れた黒いランドセルが不機嫌そうに揺れた。

 青い傘の少年は周囲で楽しげに笑う少年少女たちに鋭い視線を向けた。冷めきった眼差しには雨を喜ぶ同級生たちを蔑む色がある。

「意味分かんねぇ……」

 高い声で、しかしそれでも低い呟きが小さな唇から漏れた。 

 彼には理解が出来なかった。

 雨で濡れたアスファルトは滑りやすく、傘では防ぎきれない雨粒が膝を濡らして足下からしんしんと冷えていく。
 どう考えても雨なんか良いものではない。むしろ雨空は忌避すべきもので、毎年決まって訪れる梅雨の時期なんて憂鬱なだけだ。

「フン、馬鹿馬鹿しい」

 そう吐き捨てた時。

「ねぇ。君、小学生のくせに雨嫌いなの?」

 まだ若い男の声が上から降る。
 大人というには余りにも軽やかなその声は酷く楽しげだ。だからこそだろうか。それが少年の神経を逆撫でした。

 少年は苛立ちを押さえつつ、少しだけ傘を傾けて声のした方へと顔を向ける。

 傘の陰から見えたのはこの近所にある男子高の制服だ。
 黒の詰め襟に包まれた体は細いけれど、若々しくきちんと引き締まっている。

 順に上へと視線を向ければ、黒い傘を握った青年の整った貌(かお)が見えた。
 その目から珍しいものを見るような光が少年へと向けられている。

 しかし、なんというか不愉快だった。
 勘違いだと信じたいが、青年が少年へ向けている視線は明らかに動物を見るような目つきである。

「……誰だ、お前」

「ふふふー、さぁ誰でしょう?」

 警戒心も露わな少年の言葉に対して、青年の声はからかう調子でまともに答える様子がない。
 それでいて少年の怒りを受け流すように微笑みを崩さない。
 文句を言ってやろうと口を開きかけたその時、青年が薄く微笑んでやんわりと言葉を割り込ませた。

「雨で遊べるなんて子供の特権じゃないか。それを活用しないなんてもったいなくない?」

 そんな青年の言葉に少年はふんと鼻を鳴らす。
 そして、彼を小馬鹿にするように片目を眇めた。少年が悪ぶったところでそう迫力はない。しかし、そこには確かに強い意志があった。

「何言ってんだよ。雨なんて濡れるし冷たいし、いいことなしじゃんか」

「えー、なんか雨の日ってなんか特別で楽しいじゃん。傘させるし」

 少年の理屈に青年が首を捻る。

 しかし、彼は何を馬鹿なことを言っているのだろう。
 思わずため息が出た。それと同時に肩に乗せた傘の骨がずっしりと重みを増した気がする。

「傘なんか重たいだけだろ」

「街がカラフルで面白いと思うけど?」

「そう言うお前の傘、黒じゃんか」

 その言葉に青年が自分の傘へと視線を向けた。
 彼が掲げ持っている傘は深い闇色で、とてもではないがカラフルとは呼べない。

 しかし、青年はあっさりとそれを受け流して、細い指で少年の青い傘を指さす。

「君の傘は青いじゃないか。小学生はいいよねぇ。小さいサイズはいろんな色があるもの。大きいのになると暗い色の傘しか売ってないんだよねぇ。これって差別じゃない?」

「そんなの知らねぇよ」

「いや、子供はいいよね、っていう話」

「どうでもいい!」

 いつのまにか論点がずれている。だが、青年はそんなことに頓着しないようだ。
 ころころと表情と言葉を変えていく。気まぐれな笑みで気まぐれに思い思いの言葉を紡いでいく。少年の言葉に囚われたりなんかしない。

「でも、雨はいいよね。水たまりも鏡みたいで面白いし。ほら、丁度君らぐらいの背の低さだと大きい水たまりに全身映るでしょ。俺らぐらいになるともう足下しか映んなくてつまんないんだよね。野郎の足なんか見ても楽しくないっつーの。せめて可愛い女子高生の御足を拝みたいものだね。あわよくばスカートの中とかさ」

「おい」

「……冗談だよ?」

「リアル過ぎるだろ!」

 全然冗談に聞こえない。思わず青年を怒鳴りつけた。
 すると、青年はうるさそうに眉をしかめて口を尖らせた。不満そうなその表情を睨みつける。
 少年より十は年上だろうと思われる青年だが、仕草は何処か幼く何故かイライラした。

「見ようとしないから視えないんだよ」

 その幼げな表情のまま、青年はそう低く呟いた。それは酷く静かな声だった。そして、少し寂しそうな言葉だった。

 だが、このタイミングで言われると変な意味にしか聞こえない。

「スカートの中見ようとする変態が言うなっ」

「いやいや、そうじゃなくてね」

 青年がふわりと笑った。

 何処までもにこやかに。そして、ささやかに。
 その顔は今までのものと違って優しげなものだった。

 そして、今まで子供っぽい表情を見せていた彼がずっと大人びて見える切ない笑みだった。

 周囲の空気まで色を変えたようにしんと静まる。
 青年の纏う雰囲気の変化に、少年が思わず息を飲む。そして、圧倒される彼の目の前で、黒い袖口から伸びる骨ばった指がすっと少年の足下の水たまりを示した。

「見てみなよ。水たまりに映る君の顔は仏頂面だ」

 言い返すことができない。確かに少年の顔は不機嫌そうだ。
 理由は雨だ。雨が降るから不機嫌なのだ。雨にはしゃぐほど少年は子供ではないから。

 そんな子供はみっともないから、そうなりたくない。

 だが、青年はそうは思わないらしい。大人びた表情で少年を見守るように言う。

「あのね、色が綺麗な傘は子供にしか持てない。雨にはしゃぐことだって子供にしか許されない。これは権利なんだ。でも、君はそれを享受しようとはしないで大人ぶってる。違うかな?」

「…………」

 子供扱いするなと言いたかった。
 そうは言えなくても、せめて何か言い返さなきゃと思う。しかし、何故か言葉が出ない。喉の奥で言葉がつっかえて何も言えない。

「子供を体験しなきゃ大人にはなれない。君は早く大人になりたいんだろう? ならば、子供を経験して子供と大人の違いを知ることだよ。俺にはまだ、よく分からないけれど」

 真摯な言葉だった。
 しかし、少年にその言葉の真意がまだ理解できない。

「……お前には関係ないだろ」

 そうやって突っぱねるのが精一杯だった。
 けれど、ようやく絞り出した言葉はあまりにも小さく、いとも簡単に雨音に消されてしまった。

 しかし、青年の耳には届いていたようだ。

「ふふふ。まぁ、そうなんだけどね?」

 彼は笑った。
 透明な笑みで少年の動揺を見透かして、それでも馬鹿にするでもなく綺麗に笑った。

 そして、青年はあっさりと少年に背を向けた。現れたときと同様に突然、まるで何事もなかったかのように彼は離れていく。
 さっきまで当然のように話していたのに、それが夢だったかのように自然に離れて人混みに紛れていく。
 余りに突然のことで呆気にとられてしまったが、少年はとっさに離れていく黒い背中へ声をかけた。

「おい!」

「ばいばーい。背伸びしてる少年くん」

 青年は少年を振り返りもせずひらひらと手を振った。

 そのまま色の群れをかき分けるように歩いていく。赤や黄色、青や緑の傘の流れの中を黒い点が少しずつ進んでいく。モノクロの空や暗いアスファルトを彩る子供に飲み込まれて少しずつその姿が見えなくなる。
 子供たちの色の洪水の中では、青年の黒は酷く無力だった。

「なんなんだよ、アイツ……」

 毒づく声には思ったよりも力が入らなかった。

 ――ほんの少しだけ、青年の背中が寂しそうに見えたのは気のせいだったのだろうか?

 やがて、随分と遠くに行ってしまった黒い点から目を離し、少年も前へと歩き始めた。
 ぴちゃん。足下で水たまりが水滴を散らす。水がきらきらと光を反射して少年の視界の端を照らした。

 少しずつ黒いアスファルトに光が射す。いつの間にか雨は弱まって、灰色の雲の合間からヤコブの梯子が降りてきた。
 足下の水たまりに映っているのは虹だろうか。暗さに慣れた目に七色の光が眩しい。

「……ああ、確かに雨も悪くないかもな」

 そう呟くと、背後からあの軽やかな笑い声が届いた気がした。



 雨上がりの空の下、土の匂いを嗅いで青年が笑う。

「大人と子供、何が違うんだろう?」

 その言葉はただの独り言だ。誰に届かせようとしているわけではない。ただ言わずにはいられなかっただけのこと。

 別に口にしたからと言って何かが変わるわけでもないのだが。

「傘が大きくなって地味になって。無邪気に遊べなくなった代わりに少しばかりの選択の自由が与えられたぐらいなものだ。大人、か。大人ってなんだろうね。辞書引いたら分かるかな?」

 そうぶつぶつ呟く青年の隣を学校帰りの少女たちが駆け抜けていく。
 遅れてついてくる女の子の手に提げられた鮮やかな赤い傘。なんだかそれが眩しくて仕方がない。自分の黒い無愛想な黒い傘にため息が出る。
 だが、先を行く少女たちはそう思わないらしい。

「エミちゃん真っ赤な傘なんて子供っぽーい」

「私たちは大人だからパープルなのよ、パープル。紫じゃないんだから」

 からからと笑う声には悪意がない。無邪気という邪気がこもっているだけだ。
 笑われている少女は傘に負けず劣らず顔を真っ赤にしてうつむいている。水たまりに映るその表情はなんだかくやしそうだ。

 ふとその姿が昔の自分と重なった。いや、自分は不機嫌そうに水たまりを見ていたのだったか?

 でも、そんなことは最早どうでもいいことだ。

「ねぇ」

 ――大人ってなに?
 君たちはそれを知っているの?

 今思えば、誰よりもその答えを求めていたのはいつかの青年自身だったのかもしれない。
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